昨日の朝日新聞朝刊のスポーツ面に、『ニッポン新世紀へ(6)』と題した、『ドーピング検査 日本流』という見出しの文章が載っていた。
その中で取り上げられていたのが、タイトルにも挙げた、下村英士氏のドーピング疑惑。
これは、1984年のロサンゼルス五輪のとき、当時、男子バレー日本代表だった下村氏がドーピングと判定されたというもの。
しかし、記事によると、それは東アジア人の一部に見られる体質をドーピングと誤判定したもので、実際にはドーピングではなかった、と。
実は、当該のドーピング検査法は、欧米人のデータを元に確立されたもの。
そこで、日本人の植木真琴氏が、検査法を確立したドイツ人博士のもとを訪ね、東アジア人のホルモン代謝が欧米人とは異なっているということを、身を以て(もって)立証した。
そこから2人の信頼関係が高まり、10年後の広島アジア大会での、11選手のドーピング摘発へとつながった、というものだ。
で、ここから感じとれたこととしては、もちろん、下村氏の無実立証は喜ばしいことであるが、それはそれとして、相手の不備を指摘することが、必ずしも対立や敵対関係に結びつくとは限らないということ、そして、対立や敵対関係ではなく協力関係にもしもなり得たとしたら、それは非常によい結果を残す可能性があること、この2点である。
もちろん、一方のシビアな現実としては、同記事の末尾にもあるように、たとえ評価の高い検査法であっても、できれば地元の開発した検査法を使いたいという人間心理によって採用されない可能性がある、ということはあるが、しかし、敵対・対立しかない、どうせ受け入れられないだろう、なんて思い続けるよりは、そういう可能性があるということを認識するだけでも、(そして、現にそういった実例があると知ることだけでも)、意義のあることなのではないかと思い、ここに記した次第である。


