2011年10月31日

バロメーター/指標、とは何か

 たとえば学力ということで言うと、

 [このくらいの学力なら、この程度の点数が取れるはずだ]

 というのがあって、それを逆向きに使うと、

 [これくらいの点数なら、この程度の学力があるはずだ]

 という話にもなる。

 ところが、それ(テスト/試験の点数)が進路選択等に関わってくるとなると、

 [じゃあ、とにかく点数さえ上げれば、進路が保証される(/確保できる)んだな]

 という話にもなる。

 そこで出てくるのが、

 [学力自体(/全体)を向上させるのではなく、点数に関わる技能と知識だけ上げていって、効率よく点数だけ上げていこう]というやり方。

 で、このやり方を採用した者の場合、

 [点数は高いけれど、学力(の全体値)はスカスカ]

 ということになる可能性が高い。

 これは、内実が伴っていないということで、学力の高さ自体が要求される分野においては、このタイプの者は、役に立ちにくい。
 ただし、放置しておくと、点数だけは(学問の王道を行く者にくらべて)上がりやすいから(※だって、そこしか/それしか、やってないから、ね)、そういう者ばかりが、その分野に増えてくることになり、その分野が、役に立ちにくい人で一杯になってしまう危険性がある。

 そのため、採用する側なりが、点数の高さは(かならずしも)学力を保証するものではないということを知って、本質を見抜く目を持っておく(または、養っておく)ことが必要となってくる。

 要は、何かの数値を指標として使おうという場合には、その数値が示されている人なり会社なり商品なりが、こちらが<それに当然付随するであろうと類推している種々のメリットを本当に兼ね備えているのか>ということにも、気を配っておかねばいけないということで。

 ここをおろそかにすると、こちらの内情(=どんな数字を指標に使って判断しているのか)を知っている相手に、好きなように利用されてしまい、しかも(ここが肝心なのだが)、<こちらが望んでいるような成果は全く得られない>ということにもなりかねない。

 数値による判断のシステムだけが稼動し続けていて、本質に関する判断がなされていない状態は、そのシステムを稼動させている企業等にとって、非常に危険度の高い状態といえるのではないだろうか。
posted by らぶらどーる at 18:09| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月30日

創作/詩 よき、いろいろ

何かを見せるもよし
ムードに浸らせるもよし
あっと言わせるもよし
ときめかせるもよし
こわがらせるもよし
ほんわかするのもよし
いろいろ、よし。

     <了>

(※ドラマとか、映画とか、その他フィクション全般について考えたこと。要は、(よきもの/取り組むに値(あたい)するもの、は)、いろいろあるよ、と)。
posted by らぶらどーる at 21:46| 創作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月29日

not a raindrop(それは雨だれではなく)

 曇り空のもと、道を歩いていると、道と並行して流れている用水路(?)の水面に、ぽつっ、ぽつっ、と波紋が広がって。

 雨? と思ったけれど、すぐ近くの道を歩いているこちらには、まったく、そんな感じはなく。

 で、足を止めて、しげしげと見てみたところ、そこにいたのはアメンボたちでした。

 浮かんでいるときは、とくに目立つこともないのですが、すいーっ、すいーっ、と水面を動くときに、水面に波紋を起こして、それが雨だれによるもののように見えていたという……。
posted by らぶらどーる at 19:22| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月28日

音の無い部分も音楽/自動演奏と生演奏のちがいとは?(書籍『耳を澄ませば世界は広がる』)

 視覚障害を持つヴァイオリニスト川畠成道氏による書籍『耳を澄ませば世界は広がる』(集英社新書)。そのなかに、音楽における音に関して、印象に残ったフレーズがあったので、書いておく。

 たとえば、私は、何も音がないところも音楽だと思っています。演奏家としてはもちろん、聞く側になっていても、曲の中で音が途切れている間、私の頭の中では音が鳴っています。このようなことを感じるのは私だけではないと思います。(145ページ)

 また、これに関連して、ホテルのロビーやレストランなどでたまに見られるピアノの自動演奏と、生演奏のちがいについても、書かれている。

 けれども、呼吸をしない機械が立てる音、たとえば自動ピアノの演奏では、音がない時はまったく何も聞こえません。ただ音が止まっている。これが人間が奏でる音楽と機械による音楽の大きな違いのひとつではないでしょうか。(146ページ)

 感覚的な言い方でいえば、音符と音符の間で、実際に音としては途切れていたとしても、それでも<静寂という形で音はつながっている>、とでもいうか。

 後半の自動演奏については、ソフト(?)等によって色々とちがいはあるのだろうけれど、私がたまたまあるホテルのロビーでピアノの自動演奏を聞いた感想だと、(音と音の間が)切れている、といった感じがした。

 川畠氏が指摘していることとまったく同じかは、分からないけれど……。

 (なお、上記の引用等は、音楽というものの奥深さに焦点を当てるためのものであって、自動演奏自体を否定するためのものではない。念のため)。
posted by らぶらどーる at 16:59| 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月27日

DVD ゲームセンターCX14.0

 CSで放送されているTV『ゲームセンターCX』のレンタル版第14弾。よゐこの有野晋哉が、さまざまな昔のTVゲームに挑戦する。今回挑戦するのは、『ゆうゆのクイズでGO!GO!』と『仮面の忍者 花丸』。以下ネタバレあり。

 前回の『――13.0』では、番組自体の多少のパワーダウンを感じたのだが、今回はそんなこともなく。

 『ゆうゆの――』は、クイズゲームは過去にも同番組でやっているのでどうかなと思ったが、意外と面白く見ることができた。最後に追加映像でクイズ王と有野の一騎打ちがあるので、(もしCS時に放送がなかったのであれば、こちらで)見ておくのもよいかも(決着自体は意外とあっさりついたりして)。

 『仮面の――』は、ゲーム自体はスーパー級の名作という感じでもないのだが(ただし、素直に楽しめる良作のイメージ)、なんていうのかな、プレイヤーである有野が、目標の達成のため戦っている感じが出ていて、けっこう、面白く見ることができた。

 まだTSUTAYAでは<新作>扱いなので、私には珍しく、1泊2日で見たのだが、それなりによかった印象(ああ、これなら旧作になるのを待って半額デーでよかったかも……、という感じではなかった)(ので、今後も楽しませていただければ、と)。
posted by らぶらどーる at 19:10| TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

創作/歌詞 素敵なHeaven(または『無敵n' LOVE』)

 て・い・こ・うなんて させないから
 す・て・き・なHeaven つれてって あげる

 て・い・こ・うなんて させないから
 す・て・き・なHeaven つれてって あげる

 ほんとうは 最初から
 私、気づいていたの
 あなたとなら どんなことも
 きっと 素敵になる

 昔なら こんなこと
 『はしたない』 なんて言われる
 でも今なら ほしいものは
 かならず 手に入れたい

 本当は あなたから
 言って ほしいけれど
 胸の思い もう止まらない
 心 止められない

 て・い・こ・うなんて させないから
 す・て・き・なHeaven つれてって あげる

 て・い・こ・うなんて させないから
 す・て・き・なHeaven つれてって あげる

 Here comes (our) 無敵n' LOVE
 Here comes (our) 無敵n' LOVE

     <了>

(※女性ソロアイドル(吉川友(きっかわ ゆう)とか?)を想定した、ベタベタのアイドルソングです)。
(※特に深い意味というか、内容というかはありません)。
(※サビの部分(最初の2行)の詞とメロディーが浮かんだので、いちおう、書いてみました)。
(※ラスト2行は、いらないかも?)。
(※タイトルは、『すてきなHeaven』か『無敵n' LOVE』で)。

posted by らぶらどーる at 18:54| 創作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月26日

欺瞞を見抜く知性(中国新聞『緑地帯』)

 昨日(2011/10/25)の中国新聞朝刊の17面(文化面)のコラム『緑地帯』。
 『キャンパスの風景 2』と題された記事で、広島大学大学院准教授の西原大輔氏が、かつての大ヒット曲『世界にひとつだけの花』(作詞:槇原敬之)の詞の内容について触れていて。
 ああ、気づいている人はちゃんと気づいているのね、と、勝手に安心したというか。
posted by らぶらどーる at 03:26| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サッカー 思いとシステム

 プレイヤーの思いを乗せられないシステムなんて、無意味だ。

 (ここでいうシステムとは、戦術も含んだもののことで、要するに、チームで採用しているやり方のこと。
 一見、出来がよさそうに見えて、その実は、やっている選手たちの闘志とかを全くプラスの形で活かすことのできないシステムといった物も世の中にはあるように思えて、そういうのは極端な言い方をすれば無意味ではないか、と。
 たいていは相手とのレベルも拮抗しているわけだから、システムを回しているだけで(かならず)なんとかなる(という)代物ではないだろう、勝負というものは、と。
 そこで重要になってくるのが、選手たち(に限らないかもしれないが)の思いをそのシステムの中で活かせるかということで、それができれば、チーム力をさらに上げることができるような気がする。
 また、見る側にしても、チームのファンであると同時に、誰か特定の選手のファンでもあるという場合が多いであろうから、その選手の闘志や決意が(そのときのチームのやり方の中で、プラスの形で)プレーに反映されて勝負が為されるという方が、見ていても心踊り、魅力的なのでは、と思うのだ)。
 (などということを昨シーズン(2010シーズン)の浦和レッドダイヤモンズの試合をたまにTVで見ていて、感じたのでした)(別に浦和自体がどうこうとかそういう意図で書いているわけではない。念のため)。
posted by らぶらどーる at 02:34| サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月25日

片言 当たり前のこと

 あるところから先は、本人次第だ。

 
posted by らぶらどーる at 19:41| 片言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月24日

非・ついでに(追記)

 <欲しいかどうか微妙なもの>とか、<したいかどうか微妙なこと>とかを、<(何かの)『ついでに』、つい、買ったり、やったりしてしまいそうなとき>は、

 <ついでは、あとで>

 と心に言い聞かせると、いいかも知れない。

(※当ブログ2011/10/19の<非・ついでに>の追記)。
posted by らぶらどーる at 17:27| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする