2009年12月30日

WCCF RL2優勝

 全白チームでRL2の残り2試合+FM4試合。
 メインフォーメーションは4-3-2-1。マカーイが使えなくなるが、こっちの方が楽しいことは楽しい。
 さすがにCOM戦だけなのとこのレベルなので、快勝続き。ほとんど危ない場面もなく、GKオヘダの出番もない(一度PKになって、弾き切れなかった所を押し込まれたけど、あとはおおむね安定)。
 FWはベントナーがFMながら1試合5得点の活躍。クルスもRL2最終戦で3得点をあげるなど、いい感じ。
 SHもたまに攻撃参加からクロスまで持っていけるようになり、特にゴブはPAに真横から切り込むという裏面の説明通りのプレイを見せて印象的。
 DHはボスハールトで安定。いつの間にかボロウスキの出番は無くなった。
 DFラインも安定し、基本、攻めだけ考えればいい状況が続く。当然RL2も全勝優勝。
 ただし、大変になるのは対人戦が入ってくるこれから(RL2はCOM戦のみ)。果たしてこのチーム、対人戦の荒波を乗り切ることはできるのでしょうか?
posted by らぶらどーる at 19:06| 広島 | WCCF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月28日

片言

 その世界にとって本当に大事なものを一番に置かないと、
 それにあこがれて入ってくる人がいなくなってしまう。

 (そうなると、その世界にとって本当に大事なものを持っている人が入ってこなくなるから、その世界は衰退していく)。
 (2番目、3番目に大事なものを持っている人だけでは、バリエーションや混ぜっ返しにしかならない)。
 (それでも過去の成功の影響でしばらくは盛況が続くが、結局はジリ貧になることがあらかじめ見えている)。

 (あこがれない場合もあるが、(同類・同系にあこがれない人もいるから)、その場合でも、それが一番に置かれていることによって、それを持っている人に対しての<あなたが持っているものは私たちにとって本当に必要で不可欠のものなんですよ>といったメッセージを送ることにはなるから、結果、入ってきてくれる確率が高くなる)。
posted by らぶらどーる at 17:32| 広島 | 片言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月25日

WCCF ファン・ペルシーとマカーイ

 久々に全白チームで4試合。
 ファン・ペルシー、ベンゼマと入れ替える予定だったのだが、ゲームスタート時にしばし考えた末、そのまま残して1トップ2シャドーで試してみることに。スタメンは、

GK:オヘダ
DF:パヌッチ/ピケ/アレックス/ベレッチ
DH:ボロウスキ
SH:ゴブ/タッデイ
OH:ウーゴ/ファン・ペルシー
CF:クルス

 まずはRL2(=3部)x1。ファン・ペルシー、途端に機能し始め、結構な活躍ぶり。前の3人でバンバン攻めれて、快勝。
 続いてKC1回戦。同じく機能して、CPU相手に快勝。
 最初、2試合だけの予定だったのだが、この調子なら、ということで、2クレ追加。
 準決勝は対コックニー・ハマーズ。試合開始後、すぐにサイドで作られて、斜めにパスを入れられて、テベスに決められ、失点。続けざまにもう1点を失い、0−2で前半終了。とにかく中盤から前にボールがつながらない。
 これはまずいということでエース、マカーイを投入し、4-1-2-1-2に。しかし、なおも流れは戻らないまま、時ばかりが過ぎる。
 ならばボールを取られるゾーンに人を置くまい、ということで、リードされている局面でウーゴに代えてボスハールトを入れ、4-2-2-2に。
 するとやっと機能し始め、終了間際にマカーイが1点返すも時すでに遅し。1−2で準決勝敗退。
 やはり、勝ちにこだわるのなら、カップ戦は慣れ親しんだフォーメーションの方を優先すべきだったか、と思いつつ、残りのFMx1。負ける気配はないのだが、味方のシュートが、場外ホームランか、ポストの外に切れていく当たりそこねばかり。
 そんなこんなでロスタイム、どうせもう最後だし、とPAやや外からマカーイが強引に打ったシュートは、相手と競っていたせいでちょろシュートになるも、そのままGKの腕の下をかすめてゴールイン。その直後、試合終了。
 マカーイの劇的なゴールによって、なんだか気持ちよく終われたのでした。
posted by らぶらどーる at 17:30| 広島 | WCCF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月23日

ゲーム 『イルミナスの野望』の風景

 というわけで、PS2のRPG『ファンタシースターユニバース イルミナスの野望』のオフラインモードを延々とやっていたわけだが、このたび上限であるレベル200に到達した(女性/ニューマン/フォース、主戦:ノス・ディーガ)。
 で、そのこと自体は別にいいのだが、大したネタでもないのだけど、とりあえずこの機会にひとつ書いておこうと思う。

 このゲーム、3Dフィールドをキャラを移動させて格闘系のリアルタイム・バトルをして、というゲームなのだが、通常は目線の高さしか見ることができない(室内でいえば、壁とか通路とかは見えるけど、天井は見えない)。ある簡単な操作をすれば上を眺めることができるのだが、ゲーム上の必然性が薄いため、上を見ている人はそんなに多くないだろうと思う。
 でも、戦闘が一段落して、ふと上を見上げてみると、きれいなところもけっこうあったりする。
 個人的な一番のお気に入りは『胞子の丘陵』のところで、上を見上げると、巨大なキノコの木々の間から木漏れ日が射して、とってもきれいである。
 で、そういうきれいな(上方の)風景を見かけると、きれいだと思うと同時に、もったいないとも思うのである。
 ゲーム性とはほとんど関係はないが、あちこちで上を見てみるだけで、フィールドやゲーム自体の印象もけっこう変わるのでは、なんて思った。
 (まあ、そんなに大したネタではないから、ずっと書かないでいたわけだけれど)。
posted by らぶらどーる at 17:34| 広島 | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

TV BSマンガ夜話(『犬夜叉』)

 BSマンガ夜話『犬夜叉』の回で、高橋留美子的世界(いわゆる『るーみっく・わーるど』)についての話が出ていた。コメンテーターからも<母性>という話が出ていたのだが、それに関連して私が思ったことなど。

 要は、こういう関係なのだと思う。

 高橋留美子:母親
 登場人物たち:その子供

 いしかわじゅん氏は「SEXがない」ようなことを言っていたが、(その指摘自体は正しいとして)、一般に母親は、自分の子供を性的な目では見ない。
 母親から子供を見た目線で描かれているために、いしかわ氏あたりから見ると、違和感や欠落を感じるのではないかと思う。

 また、司会の大月氏から(一部女性キャラの)「内面がない」みたいな指摘もあったが、それはおそらく、内容の系統のちがいから来るものかな、なんて思う。
 つまりは、

 <来たものを描く>

 のと、

 <自らの経験や見聞にもとづいて描く>

 のとのちがいではないかと。
 (まあ、私は高橋氏についてよくは知らないので、実際はどうだか分からないが)。
 経験や見聞によって感じ取れたものを紙の上に移すのが大月氏の考える<リアル>(=内実の伴ったもの、触れられるもの、<見える>もの)だとするならば、それはおそらく<るーみっく・わーるど>には存在しないのではないかと思う。ただ、それと何もないということは、イコールではないようにも思えるのである。
 <記号>という言葉も夏目氏から出ていたのだが、それだとまたニュアンスがちがってくるようにも思えるので、単純に<フィクショナルな存在>として受け止めればいいのではないか、なんて、個人的には思うのでした(つまりは、<日常生活をフィクションに起こすもの>と、<フィクショナルな存在を紙の上に移すもの>とのちがいとでもいうか)。
 <起源のちがい>といった方が、分かりいいのかな?
 (ま、単純に言えば、<だって元々そうなんだからしようがないじゃない>なんてことになるとは思うのだが)。
posted by らぶらどーる at 17:13| 広島 | TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サッカー マンチェスター・シティー対サンダーランド

 NHK−BSにて視聴。

 いわゆるビッグ4以外のチーム同士の試合は珍しいので、見てみた。
 強力メンバーを補強しながらも、負けはしないが勝ちもしないマンチェスター・シティーがオフサイド気味のプレーからのゴールと微妙な判定のPKで2点を先制するがあっさり追いつかれ、その後ビューティフル・ゴールで勝ち越すも再度追いつかれ、やっとのことで4−3で勝つも、その後、監督解任、というゲーム。
 (PKの判定はおそらく、押し倒したということではなく、足を蹴ったということなのだろうと思う)。

 マンチェスター・シティー、守備の方は怪我人続出で、安定感を欠くのもやむを得ない面もあるようなのだが(といいつつも、やはり自陣ゴール前でのマークの受け渡しやセットプレーの守備にかなりの課題あり)、問題は攻撃か。この日も4点とったとはいえ、うち2点は微妙な判定から。
 攻撃陣、メンバーの名前的には強力なのだが、やや単機能型の選手が多く、彼らにいいところでボールを渡せる選手が不足しているのではないか、との印象を持った。

<この日の攻撃陣>
・サンタクルス:ポストプレイヤー:キープはうまいが、落としは普通(決定機を生み出すには至らない)。
・ベラミー:突貫小僧:攻めが筋に入った時には強いが、そこまで持っていってくれる選手(または戦術)が必要
・テベス:ハードワーカー:運動量は頼りになるが、ゴール前での精度をやや欠く。
・ライト=フィリップス:スピードタイプのサイドアタッカー:いい場面でボールをもらってなんぼの選手

 控えもアデバヨールにロビーニョと、これまた単機能系に見える。
 というわけで、

・単機能型の選手を一枚減らして、つくりに力を発揮する選手を入れる

 か、

・DHにクリエイティブな選手を入れる

 か、した方がよいのでは、なんて思った。
posted by らぶらどーる at 02:29| 広島 | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月22日

サッカー CWC2009・各チーム感想

 全部つぶさに見たわけではないが、簡単なチーム別感想など。

・アル・アハリ:最後まで地に足が着かないまま試合が終わってしまった印象。何度ボールをとられてピンチになっても修正できず、相手ゴール前では判断が遅く、しかもチャンスでボールをクリーンヒットできないのでは敗戦もやむなしか。

・マゼンベ:楽しく愛すべきチーム。5位決定戦では、最終ラインの人数が足りなくなるのにプレスに行って裏をとられるケースが目立ち、当然のごとくそこをねらわれていた。

・オークランド・シティ:大会の常連なので、地に足も着き、基本に忠実で、自らの短所をカバーし、長所を生かす戦いぶり。ただし、常連ゆえに、あらかじめ研究されたらどうなるか、不安ではある。

・アトランテ:テクニックもあり、狙いも確かだが、もうひとつ強者になりきれていない印象。

・浦項:デニウソンがいてよかったね、というチーム。彼がいなければ点がとれていないところ(そうはいっても、もちろん、アジアのチャンピオンであることは、言うまでもない)。準決勝では、気合が入りすぎるとブレーキをかけられなくなるのが、悪い方に出た。しかし全体的には好チームで、3位という成績もうなずけるところ。

・エストゥディアンテス:気合も入り、好チームだったが、やはりEU枠の有無による差は大きい。しかし、今回の参加チームでは、2位は間違いないチーム。

・バルセロナ:実は今大会、最も興味がうすく、ほとんど見ていない。上にも書いたが、やはりEU枠の存在は大きく、対戦相手を見ても、番狂わせすらも起こりにくそうな気配(ということは当然、実力伯仲の好ゲームなど、期待するべくもなく)。
 強いて挙げるとすれば、新聞報道によればグアルディオラがメッシにハートで決めろと言ったらしいのだが、技術・戦術の権化のようなバルセロナであっても、やはり大勝負の競った展開の中ではハートが最優先(というか、カギになる)、というのがひとつの教訓の実証として挙げられるのでは、と思う。

・付記:なぜだか分からないのだが、技術で決めようとすればハートは使いにくく、ハートで決めようとすれば技術もついてくる(使える)ような気が。
posted by らぶらどーる at 16:10| 広島 | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドラマ『小公女セイラ』のまわりで色々思う

 昨日の日記でも『小公女セイラ』について触れたのだが、ここでは、本編についてではなく、今作のアプローチ等について思ったことなど。

・「だって事情があるんだから、そう生きたくったって生きられないわよ!」という人や人生については、参考にできそうな作品もある気が。
 (たとえば、ちゃんと読んでいないので申し訳ないのだが、ロバート・レッドフォード主演の映画『ナチュラル』の原作にもなった『奇跡のルーキー』とか(映画とはちがい、バッドエンド)。他にもアメリカの、サクセスストーリーではない文学系のストーリーの中に、参考に出来そうなものがあるような気はする)。

・個人的には、いまの時代に『小公女』を扱うのであれば、セイラの必要性を描く話にした方がおもしろかったのでは、なんて思う。
 日常をうまくやっていく分にはセイラ的アプローチは邪魔だ、という感じでドラマは進んでいたような気がするのだが、そうではなく、逆に、頑固でぶれず、譲らず信じるところを貫き通すセイラのありようがどうしても必要な場面(うまく回すことや事なかれ主義だけでは乗り切れない場面)を設定し、そういった生き方の価値も提示した方が、時代のニーズには合っていたのではないか、なんて(ま、アンケートとかで社会意識とかのデータを取っているわけではないので、ある種のカンですが)。
 (見てないんだけど、ドラマ『斉藤さん』に近いもの、といったら分かってもらえるかな?)。

・ドラマ内で実際に描くかどうかは別として、とりあえず、

 ◇昔のトラウマを思い出すからといって他人の子を散々ビンタしたり
 ◇気に入らないからといってクラスメートまで巻き込んで虐めをやってみたり
 ◇むかつくからといって物を盗み出し、返しもしなければ謝りもしなかったり

 といったことはすべてトンデモナイことだ、というのだけは作り手側もきちんと押さえておかなくてはならないだろうと思う。
 (小学生とかをメインターゲットにしているのなら、なおのこと、ね)。
posted by らぶらどーる at 12:33| 広島 | TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月21日

切り替えのタイミング(ドラマ『アンタッチャブル』)

 単発エピソードから追い込みに入るタイミングについては、アガサ・クリスティーの『謎のビッグ・フォア』が参考にできるのでは?
posted by らぶらどーる at 16:35| 広島 | TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

それぞれの正しさ?(ドラマ『小公女セイラ』)

 ※ちょっとキツイのでファンの人は読まない方がよいかと思います。

 『小公女セイラ』も先週末で終了。
 セイラのみが正しいのではなく、それぞれの人にそれぞれの正しさがあるのだ、正しさはひとつではない、という、一見いいことを言っているふうな内容・結末であったように思うが、しかし、このドラマ、実際のところはどうだっただろうか。
 それぞれの正しさがあると言うためには、それぞれの正しさをきちんとドラマの中で描いていることが必要なのだが、実際にはこのドラマにおいて、<それぞれの正しさ>などまったく描かれていないのでは? というのが私なりの印象である。
 とりあえず、セイラは、自らが正しいと思ったことを行動に移している。なので、セイラにはセイラなりの正しさがある。
 しかし、他の登場人物はどうだろうか。
 院長は自らのトラウマゆえセイラにきつく当たるわけだが(暴力行為等)、本人は別にそれが正しい行動と思ってやっているふうでもない。
 いじめっ子筆頭は、いろいろな事情があってセイラをいじめるわけだが、それも、別に本人が正しいことをやっていると思ってやっているふうでもない。
 一話だけ同僚メイドになったカイトの幼馴染(おさななじみ)は学園の生徒たちにむかついて院長のブローチを盗み出すわけだが、それも別に本人が、これは正しい行動なのよ! と思ってやっているふうでもない。
 そういったことを考えてみると、結局この作品において語られているのは、そういう行動に至ったそれぞれの心境や事情のみであって、<それぞれの正しさ>についてはまるで語られていないといった気がするのである。
 で、私から言えるとすれば、それは<それぞれの正しさ>ではなくて、<それぞれの言い分>だよ、と。
 要は、非難されるべき行動に至ったのはこんな同情すべき理由があるんだよ、と描いているだけで、それは正しさとは無関係だと思う。
 ちなみに、トンデモ行動をやらせておいて同情を誘ってうやむやにするというのは90年代のフィクション(ドラマ、アニメ、ゲーム等)によくあったパターンだと思う。
 フィクションにおいては、うまいこと書いて黒を白に見せかけることもできるけれど、せっかくのフィクションのマジックをそんなことに使わないでも……、というのが率直な感想。
posted by らぶらどーる at 16:31| 広島 | TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする