2008年08月31日

微妙にツイていないこと

 外出中、ちょっとだけ腹がすいたので、コンビニのおにぎりを食べることに。
 チャーハンのおにぎりを買って、店の外でパッケージを開けると、中の米がばんらばら。食べてる端(はし)からポロポロ崩れて、食べにくいったらありゃしない。結局最後は、ビニールの下の方に残った、一個一個バラバラのお米を無理矢理吸い込む、みたいな。
 本のちょっとだけ、ブルーになった出来事なのでした。
posted by らぶらどーる at 18:15| 広島 | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月30日

武道の必修化に思う

 武道が必修化される予定のようだが、正直、どうかと思う。
 日本が武張る(ぶばる)と、ろくなことがない。
 最近の日本の<モラル、礼節の乱れ>を懸念してのことのようだが、江戸時代だって武道をやっていた人間は全体から見れば少数だ。それで、いいバランスが保てていたように思う。 
 そもそも礼節を学ばせたいなら礼節を学ばせればいいのであり、武道を使って、とは、単に利用しようとしているだけの情けない行為だ。そして、このように、そのもの自体が目的ではなく、何かのために利用しようとしているだけな時には、良い結果に終わらないことがほとんどである。
 武道や武道の集団のマイナス面にも目を配るのではなく、ただ単に<〜によさそうだから>などといういいかげんな理由で導入するのでは、結局、何にもなりえない。悪い意味で<第二のゆとり教育>になりかねないのではないかと思う。
posted by らぶらどーる at 18:37| 広島 | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

順位はなくてよいのでは?(全国学力テスト)

 文部科学省の全国学力テストの都道府県別順位が出ていたけれど、別にこれは、公表する必要はないのでは、なんて思う。というのは、順位をつけることの意義を感じないからだ。
 そもそも順位というのは、定員が限られている入学試験や、会社の営業のように常により好業績が求められる分野において、必要とされる。前者は合格者と不合格者を分けるため、後者は競争意識を高め、結果として全体の業績を底上げし、また、適度な刺激を与えるためでもある。
 全国学力テストは、このどちらにも当てはまらないと思う。
 まず、定員が決まっていないのだから、順位をつける必要はない。
 次に、より高い=より良いではない、ということ。
 公教育の場合には、受ける人数が多く、その目的もさまざまなのだから、会社の営業とはわけがちがう。生徒の今後の人生に関わることなのだから、最低限のものが身についているかの方がはるかに大事だ。公教育を全うすれば、これだけのもの(学習内容)は保障されますよ、というのがちゃんとできているかといった話。
 また、日本の今後の保障のことを考えると(だって生徒たちはのちに日本の主軸となっていくわけだから)、多様性というものも重要だ。
 会社のような業績主義だと、手っ取り早く業績をあげやすい分野だけ突出していればいい、となりがちだが、日本国全体のことを考えると、それでは立ち行かない。これは利益率(得点率)が悪いからパスでいいや、なんてされていたものが、必要不可欠になることだってあるのだ(一面的な社会は業績もあげやすいが、倒れるときはいっせいに倒れて支えがきかない)。未来の予見不能性を考えても、多様性の保障というのは大事だが、順位をつけて競争をあおることによって、より得点に特化した学習内容となり、結果、重要な取りこぼしが起きるのではないかと心配なのである。
posted by らぶらどーる at 18:25| 広島 | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

安物買いの銭失い

 ズボンを買い換えることになってデパートに行ったらえらく安売りしてあるのがあって、試着してみたら微妙にお尻の辺りがきつかったのだが、まあこの値段だし、ということで購入。
 そのまましばらく、はいていたのだが、仕立てが悪いのか、あるいは布地をケチったのか、どうにも動きが窮屈だ。それでも無理矢理はきとおしていたら、ある日ついにお尻の辺りに破れが見つかってしまった。
 ……数ヶ月の命でした……。
posted by らぶらどーる at 18:10| 広島 | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドラマ キャットストリート 第1話感想

 谷村美月は私にとって注目の女優なのだが、どうも未だ、これだ! という演技を見ていないような気がする(まあ見たのが『生物彗星WoO』と『銀河鉄道の夜』と……あと、何だっけ? 偏っていると言えば言えるのかも知れないが)。
 で、この『キャットストリート』第1話においても、その印象を覆すまでには至らなかった。
 冒頭、ベッドで目覚めて時計に目線をやるシーンの表情は非常にいいのだが、あとは撮り方なのか演出なのか、役柄の内面の感情が真に迫って鮮烈に伝わってくるというところまでは行ってなかったように思う。
 他の役者を見ても全体に(画面のこちら側への)踏み込みが足りないという感じなのだが、みんながそうだということは、演出の方針・スタイルなのかもしれない。
 でもたとえば妹が姉のことを「あの人」と呼ぶところはもっと胸に迫るようにできたはずだし、そうでなければいけなかったのだろうと思う。あの場面を見た人が、<ああ、こういう状況だとこんな感じになるんだ>と感じられるようでなくては(<こんなことを言うようになるんだ>じゃなくて、ね)(別に『家なき子』みたいにしろとか言っているわけではない)。
 次回見るかは微妙。
posted by らぶらどーる at 04:09| 広島 | TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月29日

「勝つこと」って、すばらしいか?

 勝ち(組)とか負け(組)とかって、勝者が自分の立場を有利にするための単なる宣伝なんじゃないか、なんて。
 勝ってもすべてを得られるわけじゃないし、負けてもすべてを失うわけじゃない。本来は、ね。
 でもそれだと、勝者は困る。特に紙一重の差での勝利だったりすると、なおさらだ。誰かが敗者に味方したりしたら、あっという間に逆転されかねない程度の差だからね。あるいは、敗者の方が上で、たまたまめぐり合わせが悪かっただけかもしれないし。
 とにかく、せっかくとった地位だの名誉だのを、ひっくり返されては大変だ。あるいは、<自分が本当はナンバーワンではない、すばらしくない>とばれたら大変だ。だから勝者は、自らの勝ちを大々的に宣伝する。<勝者はすべてを得、敗者はすべてを失う>、みたいに見せかける(<勝ってるんだから「最高」に決まってる>みたいな(現実にはマイナーなメーカーとかの方が品質的には優れているものを作っているなんて事があるような?)。そんなふうに宣伝することで、自らの立場を不動のものと思い込ませ、世間にそう思い込ませることによって現実に不動のものにしたいわけだ。
 <Winner gets all.>なんて、勝てる(はずの)立場に身を置いている者が自分をより有利にするための単なる謳い(うたい)文句。そんなもん、気にしてても、しょうがない。
 勝ち負けは何にも保障しない。というか、宣伝されているほどのものは保障してくれない。だから人は、いついかなるときも、生き続けなければならないんだ。
 (これは人生における一般論で、スポーツ等の世界においては若干異なりますが、それでも幾分かは通用するのでは、と思います)。
 (勝者が本当にすばらしいことをやって、それを讃える(たたえる)というのであれば、それは別にいいのでは、という気もします)。
 (要は、「勝つことがすべて」「勝者は常に偉いんだ」みたいなスローガンにある<胡散臭さ(うさんくささ)>みたいなものを言いたかったのです)。
posted by らぶらどーる at 18:42| 広島 | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

WCCF 新チーム、のっけから苦戦

 というわけで新チームを立ち上げ。
 ホームタウンはモスクワ。4-1-2-3で、メンバーは以下の通り。

GK:グァルダルベン02-03
DF:サネッティ04-05/ISサムエル/アジャラ04-05/クーロ・トーレス04-05
DH:ディ・ビアッジョ02-03
OH:アイマール05-06/ルイ・コスタ04-05
WG:ビセンテ05-06/ホアキン05-06
CF:F.トーレス06-07
控え:バボシュ04-05/シルベストル04-05/マブーバ06-07/ビクトル・サンチェス04-05/トマソン04-05

 で、始めたのだが、のっけからフェイエノールト相手に惨敗。とにかく、相手を止められない、パスがつながらない、突破ができない、カバーが間に合わない。あれよあれよという間に3失点。色々やるが効果はなく、終了間際にF.トーレスの意地の一発で零封負けを免れるのがやっと。
 ……DH2枚に変えてもぜんぜん相手を捕まえられないって、何?
 4-2-1-3に変更して次戦に臨むも、OHのアイマールが中盤のプレスのど真ん中でボールを抱えて独走。あっという間に奪われる。対人戦だったが、いいとこ無く、負け。
 アジャラがボールをとってるとこ、見たことないな、と思い、サムエルとシルベストルのCBに変更。シュートにさわることすらできないグァルダルベンに替えてバボシュを起用。ついでにアイマールをはずしてトップ下にルイ・コスタ。
 やっと内容が安定してきて初の引き分け。試合前にKPを色々試していて、両サイドが<コンビネーションプレー>と<ウィンガードリブル>であることに気づく。さらに、ウイングを起用していることと守備がもろいことを考慮して、戦術をカウンター+両サイドアタックに。これが当たった。
 4戦目。<コンビネーションプレー>で流れるようなパスワークから右奥に振ると、なんとそこにはいつのまに駆け上がったのか、右SBのクーロ・トーレスが。ホアキンとのワンツーからクロス、待っていたのはトマソン、ダイレクトボレー、ゴール! 同様の展開でさらに2点目!
 サムエルがOHを追い越そうかという勢いで押し上げるなど、常にペースを握り、危ういところはほとんどなし。
 終了間際、クロスをあげようとしたビセンテにシュートを打たせてしまったのは失敗だったけれど、4戦目にしてやっと、会心のゲームというやつができた。
 気がつけば、グァルダルベンもアジャラもアイマールもF.トーレスも蚊帳の外。こんなんでいいのかな……?
posted by らぶらどーる at 17:54| 広島 | WCCF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もし、雨粒一個一個の中に

 もし、雨粒一個一個の中にそれぞれひとつの世界があって、雨粒が何かにぶつかるたびに、ベチョッとなってその世界がつぶれてしまっているのだったら――?

 なんてことをふと、考えてしまったのだった。
 (ちなみに、思いついたときのBGMは、小林麻美の『雨音はショパンの調べ』だったりする)。
posted by らぶらどーる at 04:17| 広島 | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

それは君の手柄だろうか?

 霊能者なんて呼ばれている(というか、基本、自分で言わなければそうは呼ばれないはずなのだが)人々がいる。そういう人は、よくこんなことを言う。

 「あの台風が進路をそれたのは、私が念じたからなんですよ」

 「本当は地震が起きるはずだったのを、私の祈りが変えさせたのです。残念ながらその影響が、××の国に出てしまったのですがね」

 でも、ね……。
 霊能力があるとかないとか関係なく、この話は成立しない。

 たとえば台風の場合。
 巨大台風がこのままでは日本を直撃するぅ! といったそのときに、<台風、こっちに来るな!>と念じていた人の数はいかばかりか。世に言う自称霊能者だって、きっと、多くの人数が進路を変えさせようと念を込めたりしていたはずなわけで――進路が変わったといったって、それが<自分の>祈りによるものだとどうして分かる? ほかの誰の祈りのおかげだったか、分かりゃしない。

 だから、そういう話を聞いたときは、心のなかでこう思うと良いのでは?
 <うんうん、そういうことも世の中にはあるかもしれませんねえ。でもそれは、<あなたの>おかげでは、なかったかもしれないんですけどねえ>
posted by らぶらどーる at 04:04| 広島 | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

創作/スケッチ 深い闇のなかで

 夜の深い闇に目をこらせば、息を潜め、人間たちの動向を知らんと、その眼(まなこ)をくゎっと見開いているものたちの姿が浮かび上がるかもしれない。

 <人間は次はどうするんだろう?>
 <また世界を壊すんだろうか?>

 人が今のようになる以前から、この世に<生き>てきたものたちは、そう小声で言い合っては、不安そうなまなざしで、人間たちの行動を見張っているのだった。
posted by らぶらどーる at 03:52| 広島 | 創作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする